2008年
02月
26日
(火)
21:54 |
編集
日本には、
「人類も自然界のひとつであり、自然との調和なくして繁栄はありえない」
という考えが根本にある。
一方で、欧米の考え方の基本にはキリスト教的な
「人類は他の生命とは異なり特別な存在である」
という概念がある。
この前、イギリスだかが制作した
ドキュメンタリー番組を見てたら欧米らしい表現が出てきた。
生物の進化に関する番組だったんだけど、
「生命は種の保存を賭けて様々な形に進化してきた。
中でもユニークなのが豚である。
彼らは家畜化という人間との共存を選ぶことで
爆発的に繁栄するに至った」
猪を豚に家畜化してきたのは人間の都合であるのに
あたかも豚の都合であるかのような表現だ。
これを見た時、牛肉食べながら平気で捕鯨運動に参加出来る神経を少し理解出来た気がした。
欧米には敬虔なカトリック信者が占める割合が少なくない。
彼らの考えは基本的に理屈ではなく教義に基づいている。
その為、話し合いの余地があまりないのではなかろうか?
と、思った。
「人類も自然界のひとつであり、自然との調和なくして繁栄はありえない」
という考えが根本にある。
一方で、欧米の考え方の基本にはキリスト教的な
「人類は他の生命とは異なり特別な存在である」
という概念がある。
この前、イギリスだかが制作した
ドキュメンタリー番組を見てたら欧米らしい表現が出てきた。
生物の進化に関する番組だったんだけど、
「生命は種の保存を賭けて様々な形に進化してきた。
中でもユニークなのが豚である。
彼らは家畜化という人間との共存を選ぶことで
爆発的に繁栄するに至った」
猪を豚に家畜化してきたのは人間の都合であるのに
あたかも豚の都合であるかのような表現だ。
これを見た時、牛肉食べながら平気で捕鯨運動に参加出来る神経を少し理解出来た気がした。
欧米には敬虔なカトリック信者が占める割合が少なくない。
彼らの考えは基本的に理屈ではなく教義に基づいている。
その為、話し合いの余地があまりないのではなかろうか?
と、思った。
2008年
02月
24日
(日)
18:12 |
編集
アーセナルのエドゥアルドが怪我をした。
幸い選手生命に関わるものではなかったらしいが
治療に5〜6ヶ月かかるらしい。
とりあえず、またピッチに立てるらしいので
ホッとした。
スポーツ選手に怪我はつきものだけど、
悪質なファールによる怪我は勘弁願いたい。
悲しいし、腹立つし、悔しいし・・・。
エドゥアルドが倒れた後のセスクの動揺の仕方は半端じゃなかったし、
さらに試合でもショッキングな負け方をしているので
他の選手のメンタルへの影響が心配。
彼が少しでも早く回復してくれる事を祈っている。
幸い選手生命に関わるものではなかったらしいが
治療に5〜6ヶ月かかるらしい。
とりあえず、またピッチに立てるらしいので
ホッとした。
スポーツ選手に怪我はつきものだけど、
悪質なファールによる怪我は勘弁願いたい。
悲しいし、腹立つし、悔しいし・・・。
エドゥアルドが倒れた後のセスクの動揺の仕方は半端じゃなかったし、
さらに試合でもショッキングな負け方をしているので
他の選手のメンタルへの影響が心配。
彼が少しでも早く回復してくれる事を祈っている。
2008年
02月
21日
(木)
06:56 |
編集
ついに決勝トーナメントが始まりました。
アーセナル対ミランの1legはエミレーツスタジアム
ホームのアーセナルとしては何としても1点獲っておきたかった。
確かにミランの守備はよかったけど、隙がないわけでもなかった。
フィニッシュの精度がイマイチだったように思うが
それも、完璧な状態でシュートを打たせてもらえなかったのかな?
キーパーのポジショニングかな?
後半は焦りからかプレーが雑になっているようにも感じた。
結果論だけど、ウォルコット投入がもう少し早くても良かった。
相変わらず、ベンゲルは動きが遅い。
本当に良い試合だったけど
やっぱり得点がほしかった。
ちょっと興奮状態なのであんまりうまくまとめられないが
そろそろ仕事にいかねばならんのでこの辺で・・・。
アーセナル対ミランの1legはエミレーツスタジアム
ホームのアーセナルとしては何としても1点獲っておきたかった。
確かにミランの守備はよかったけど、隙がないわけでもなかった。
フィニッシュの精度がイマイチだったように思うが
それも、完璧な状態でシュートを打たせてもらえなかったのかな?
キーパーのポジショニングかな?
後半は焦りからかプレーが雑になっているようにも感じた。
結果論だけど、ウォルコット投入がもう少し早くても良かった。
相変わらず、ベンゲルは動きが遅い。
本当に良い試合だったけど
やっぱり得点がほしかった。
ちょっと興奮状態なのであんまりうまくまとめられないが
そろそろ仕事にいかねばならんのでこの辺で・・・。
2008年
02月
20日
(水)
21:08 |
編集
インターネット文化が恐いなあ、とつくづく思う。
個人的に気に食わない事であっても
ネット上で多くの人の支持を得たら
それが個人の主観ではなく客観的な正義に化けてしまう気がする。
子供の世界によくある。
ちょっと性根の悪いガキ大将にクーデターを起こしてみんなで制裁を加えるというパターン。
制裁を加える側の人間はいじめられている人間の救済という大義名分があるので
まったく罪悪感を感じないわけだけど、、それは一歩間違えるとイジメに発展し兼ねない。
日頃のストレスや不快感をここぞとばかりに発散させる。
自分は正しい事を言っていると思っているから罪悪感はまるでない。
本当に恐ろしいのは
その事を知りつつわざと煽る人間と
その事に気づかず正義感で動く人間がいる事。
多くの純粋な(単純な)人間が簡単に情報操作され得るって事だと思う。
最近は本当に世論の傾き方が尋常じゃない。
ネット社会がもたらす集団心理だと思う。
恐い。
個人的に気に食わない事であっても
ネット上で多くの人の支持を得たら
それが個人の主観ではなく客観的な正義に化けてしまう気がする。
子供の世界によくある。
ちょっと性根の悪いガキ大将にクーデターを起こしてみんなで制裁を加えるというパターン。
制裁を加える側の人間はいじめられている人間の救済という大義名分があるので
まったく罪悪感を感じないわけだけど、、それは一歩間違えるとイジメに発展し兼ねない。
日頃のストレスや不快感をここぞとばかりに発散させる。
自分は正しい事を言っていると思っているから罪悪感はまるでない。
本当に恐ろしいのは
その事を知りつつわざと煽る人間と
その事に気づかず正義感で動く人間がいる事。
多くの純粋な(単純な)人間が簡単に情報操作され得るって事だと思う。
最近は本当に世論の傾き方が尋常じゃない。
ネット社会がもたらす集団心理だと思う。
恐い。
2008年
02月
19日
(火)
19:36 |
編集
ある自然数が9の倍数であるかを調べるには
各桁の数の和が9の倍数であるかを調べればよい。
例えば3984の場合
3+9+8+7 = 27
27 = 3×9
であるから3987は9の倍数である。
これを証明するには4ケタの数
abcdを考える。
abcd = 1000a+100b+10c+d
= 999a+99b+9c+a+b+c+d
= 9(111a+11b+c)+a+b+c+d
abcdが9の倍数である為には9(111a+11b+c)が9の倍数であるから
a+b+c+dも9の倍数である事が必要である。
でも、これは4ケタ限定の証明方法ですよね。
これを全ての自然数に対して証明する方法はあるのでしょうか?
つまり、n桁の数についても証明したい。。。
各桁の数の和が9の倍数であるかを調べればよい。
例えば3984の場合
3+9+8+7 = 27
27 = 3×9
であるから3987は9の倍数である。
これを証明するには4ケタの数
abcdを考える。
abcd = 1000a+100b+10c+d
= 999a+99b+9c+a+b+c+d
= 9(111a+11b+c)+a+b+c+d
abcdが9の倍数である為には9(111a+11b+c)が9の倍数であるから
a+b+c+dも9の倍数である事が必要である。
でも、これは4ケタ限定の証明方法ですよね。
これを全ての自然数に対して証明する方法はあるのでしょうか?
つまり、n桁の数についても証明したい。。。
2008年
02月
16日
(土)
15:03 |
編集
1-1,空気を知らない・・・・・集団での生活経験が乏しい。自覚あり。改善の兆しあり
○世間知らずタイプ、若気の至りタイプ
1-2,空気読めない・・・・・・集団での生活経験が乏しい。マイペース。自覚なし。
悪気なし。改善の兆しなし。
○おぼっちゃんタイプ
2-1,空気が薄い・・・・・・・おおらか。例:自分にも他人にも腹が立たないタイプ
○鈍感タイプ
2-2,空気読まない・・・・・・無神経。自己中心的。自分の行動基準が優先される。
○自己中タイプ
2-3,空気読んでるつもり・・・線引きが間違ってる。最も痛いタイプ。
例:あいつは文句言ってないから大丈夫
○知ったか(ぶり)タイプ
3-1,空気読む気がない・・・・作為的、意図的 最もタチが悪いがKYには含めない?
○世間知らずタイプ、若気の至りタイプ
1-2,空気読めない・・・・・・集団での生活経験が乏しい。マイペース。自覚なし。
悪気なし。改善の兆しなし。
○おぼっちゃんタイプ
2-1,空気が薄い・・・・・・・おおらか。例:自分にも他人にも腹が立たないタイプ
○鈍感タイプ
2-2,空気読まない・・・・・・無神経。自己中心的。自分の行動基準が優先される。
○自己中タイプ
2-3,空気読んでるつもり・・・線引きが間違ってる。最も痛いタイプ。
例:あいつは文句言ってないから大丈夫
○知ったか(ぶり)タイプ
3-1,空気読む気がない・・・・作為的、意図的 最もタチが悪いがKYには含めない?
2008年
02月
10日
(日)
00:37 |
編集
NHKの課外授業〜ようこそ先輩〜という番組で陸上競技の為末選手が出ていた。
為末選手が自分の母校に行って小学生に授業をするという番組。
科目はもちろん体育。
印象的な事がいくつかあった。
自分の心に留めて置きたいので記しておく。
1、日本人にあった「走法」について
欧米人は骨盤が地面に対して垂直なのに対して
日本人は猫背の人が多く骨盤が後ろに傾いているらしい。
なので、ももを高く上げるとバランスを崩して速く走れない。
そこで、日本人にはすり足に近い忍者走法が向いているのだそうだ。
日本では陸上競技に限らずあらゆることが「西洋化=発展」のようになってしまっている。
けれど、どんな事にも日本人の体に適した方法論があり、
日本の伝統文化にこそ、その真髄があるのだろう。
(剣道や相撲はすり足だよね?)
国家の品格にもあったけど、
「日本の伝統文化が何故その形になったのか」
を我々日本人がもう一度よく理解する事が重要なのかもしれない。
2、変化を恐れない
自分の走法の問題を解決させる為の訓練を施すと一時的に記録が落ちるらしい。
でも、それを恐れている限り今より高い所にはいけない。
これは合唱にも通じることだなあ。
発声を変えようとするとその部分にばかり意識がいって
他がおろそかになって全体のバランスが崩れてしまう。
何より歌ってて楽しくない。
けれど、その面倒くさい過程をクリアしないといつまでたっても
同じ場所をグルグル回ることになる。進歩しない。
声ってひとりひとり違ってて癖がある。
いくら練習しても癖が治らない事はよくくあることだが
一時的に落ちてしまう事が恐くて治せないのかもしれない。
3、緊張+興奮=高記録
これは、今読んでいる本にも同じことが書いてあった。
大勢の人の前で走る時、緊張する。でも、それは決して悪いことではない。
むしろ、緊張をとき解そうとする方が却ってよくない。
緊張とは勝負する状態に体を作っている状態なので、それを利用する。
緊張した時は自分の体を叩いたり、大声を出したりして
自分を奮い立たせる事が肝要であるらしい。
緊張+興奮が高記録への道だとか。
日本人がプレッシャーに弱いと言われるのは
プレッシャーを解くことにエネルギーを使ってしまうから。
プレッシャーを解いてリラックスした状態では
体は思うように動いてくれないのだそうだ。
4、自分は自分
この授業は為末選手から指導してもらった走法を基に
小学生各人が練習を積んで、自分の100mの記録を1秒縮める事を目標としていた。
目標を「自分のタイムを縮める事」としてあるところに意味がある。
僕等が陸上競技を見るときは、たいてい数人の人が競争していている状態である事が多い。
けれども、彼等にとって最も重要な事は自分の記録を伸ばすことにあるはずだ。
他人との競争はあくまで競技場内での話であって、普段の練習でやるべき事は自分との戦い。
他人は関係ない。
「メダルを逃したけど、悔いは無い」と語る選手をしばしば目にするけど、
メダルの色ばかり気にする昨今の価値観ではなかなか分かりえない事かもしれないね。
人生は他人と比較するものではない。
何の為に生きるのか?
人によっていろんな答えがあっていいと思うけど
それは決して他人を打ち負かす事ではないと思う。
勝ち組、負け組という表現は陳腐で悲しい。
幸い僕は仕事上、他人との競争をそこまで実感せずにいられる。
あくまで自分と戦う事に目を向けていられる。
孤独ではあるけれど、それはそれで有り難い話だと思う。
5、走り続ける事
ほとんどの生徒が記録を向上させていたけど、
1秒という目標を達成出来た生徒は半分以下だった。
1秒という数字そのもにには意味はないだろうけど、
もしかしたら為末さんはわざとみんなが達成出来ない数字を掲げたのかもしれない。
最後にこう語っていた。
「一生懸命やっても結果が出ない事があるかもしれないけど、そこで努力をやめてはいけない。
結果が出なくても頑張る。それが大事。」
もう、小学校の頃から何十回、何百回といろんな人に言われつくしてきた言葉だけど、
為末選手の言葉はとてもリアルで、重く感じられた。
努力しても結果が出る保証はないけれど、
一歩でも前に踏み出せば少しだけでも確実に前進はする。
踏み出さなければ永遠に前進しない。
たまたま、チャンネルを合わせただけだったけど、ついつい見入ってしまった。
為末選手の言葉はとても重くて優しかった。
いろいろ試行錯誤を重ねながら自分でトレーニングメニュー等を考えてきたそうだ。
自分でいろいろ考える人の言葉って
独特の響きを持ってて、ちょっと惹きつけられます。
北京ではちょっと注目してみよう思う。
為末選手が自分の母校に行って小学生に授業をするという番組。
科目はもちろん体育。
印象的な事がいくつかあった。
自分の心に留めて置きたいので記しておく。
1、日本人にあった「走法」について
欧米人は骨盤が地面に対して垂直なのに対して
日本人は猫背の人が多く骨盤が後ろに傾いているらしい。
なので、ももを高く上げるとバランスを崩して速く走れない。
そこで、日本人にはすり足に近い忍者走法が向いているのだそうだ。
日本では陸上競技に限らずあらゆることが「西洋化=発展」のようになってしまっている。
けれど、どんな事にも日本人の体に適した方法論があり、
日本の伝統文化にこそ、その真髄があるのだろう。
(剣道や相撲はすり足だよね?)
国家の品格にもあったけど、
「日本の伝統文化が何故その形になったのか」
を我々日本人がもう一度よく理解する事が重要なのかもしれない。
2、変化を恐れない
自分の走法の問題を解決させる為の訓練を施すと一時的に記録が落ちるらしい。
でも、それを恐れている限り今より高い所にはいけない。
これは合唱にも通じることだなあ。
発声を変えようとするとその部分にばかり意識がいって
他がおろそかになって全体のバランスが崩れてしまう。
何より歌ってて楽しくない。
けれど、その面倒くさい過程をクリアしないといつまでたっても
同じ場所をグルグル回ることになる。進歩しない。
声ってひとりひとり違ってて癖がある。
いくら練習しても癖が治らない事はよくくあることだが
一時的に落ちてしまう事が恐くて治せないのかもしれない。
3、緊張+興奮=高記録
これは、今読んでいる本にも同じことが書いてあった。
大勢の人の前で走る時、緊張する。でも、それは決して悪いことではない。
むしろ、緊張をとき解そうとする方が却ってよくない。
緊張とは勝負する状態に体を作っている状態なので、それを利用する。
緊張した時は自分の体を叩いたり、大声を出したりして
自分を奮い立たせる事が肝要であるらしい。
緊張+興奮が高記録への道だとか。
日本人がプレッシャーに弱いと言われるのは
プレッシャーを解くことにエネルギーを使ってしまうから。
プレッシャーを解いてリラックスした状態では
体は思うように動いてくれないのだそうだ。
4、自分は自分
この授業は為末選手から指導してもらった走法を基に
小学生各人が練習を積んで、自分の100mの記録を1秒縮める事を目標としていた。
目標を「自分のタイムを縮める事」としてあるところに意味がある。
僕等が陸上競技を見るときは、たいてい数人の人が競争していている状態である事が多い。
けれども、彼等にとって最も重要な事は自分の記録を伸ばすことにあるはずだ。
他人との競争はあくまで競技場内での話であって、普段の練習でやるべき事は自分との戦い。
他人は関係ない。
「メダルを逃したけど、悔いは無い」と語る選手をしばしば目にするけど、
メダルの色ばかり気にする昨今の価値観ではなかなか分かりえない事かもしれないね。
人生は他人と比較するものではない。
何の為に生きるのか?
人によっていろんな答えがあっていいと思うけど
それは決して他人を打ち負かす事ではないと思う。
勝ち組、負け組という表現は陳腐で悲しい。
幸い僕は仕事上、他人との競争をそこまで実感せずにいられる。
あくまで自分と戦う事に目を向けていられる。
孤独ではあるけれど、それはそれで有り難い話だと思う。
5、走り続ける事
ほとんどの生徒が記録を向上させていたけど、
1秒という目標を達成出来た生徒は半分以下だった。
1秒という数字そのもにには意味はないだろうけど、
もしかしたら為末さんはわざとみんなが達成出来ない数字を掲げたのかもしれない。
最後にこう語っていた。
「一生懸命やっても結果が出ない事があるかもしれないけど、そこで努力をやめてはいけない。
結果が出なくても頑張る。それが大事。」
もう、小学校の頃から何十回、何百回といろんな人に言われつくしてきた言葉だけど、
為末選手の言葉はとてもリアルで、重く感じられた。
努力しても結果が出る保証はないけれど、
一歩でも前に踏み出せば少しだけでも確実に前進はする。
踏み出さなければ永遠に前進しない。
たまたま、チャンネルを合わせただけだったけど、ついつい見入ってしまった。
為末選手の言葉はとても重くて優しかった。
いろいろ試行錯誤を重ねながら自分でトレーニングメニュー等を考えてきたそうだ。
自分でいろいろ考える人の言葉って
独特の響きを持ってて、ちょっと惹きつけられます。
北京ではちょっと注目してみよう思う。
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