2007年
05月
25日
(金)
12:08 |
編集
マスコミって
こういう
オヤジギャグ的なセンスの命名が大好きなのか
しょっちゅう使いますね。
一般市民にウケてると思っているんですかね?
みんなドン引きしてるのに
オヤジギャグを連発する
痛い中年オヤジみたいだ。
こういう
オヤジギャグ的なセンスの命名が大好きなのか
しょっちゅう使いますね。
一般市民にウケてると思っているんですかね?
みんなドン引きしてるのに
オヤジギャグを連発する
痛い中年オヤジみたいだ。
2007年
05月
15日
(火)
18:59 |
編集
ハイエナというと
ライオン等の他の動物が捕らえた獲物を横取りする
ずるいヤツというイメージがある。
しかし、実際はライオンの獲物を横取りするよりも
ライオンに獲物を横取りされる事の方が遥かに多いらしい。
恐らくは百獣の王ライオンの威厳を守る為に
ハイエナが汚れ役にされてしまったのだろう。
またハイエナは群れを作り、その群れの中での仲間意識や家族愛が深い事でも有名だ。
例えばサバンナで野生動物が足を怪我する事は死を意味する。
足手まといの仲間をかばっていると自分の身も危ないから見捨てるのだ。
しかし、群れを作るハイエナは怪我した仲間を見捨てたりはしない。
仲間で協力するのだ。
ライオン等より遥かに人間の美意識に近い行動をとる。
そもそも弱肉強食の世界で綺麗も汚いもない。
生きるか死ぬか、それだけだ。
見た目の悪さからズイブンと割を食っている可愛そうな動物である。
まあ、ハイエナは人間の評価など気にしていないだろうけど。。。笑
けっこう、偏見や思い込みというのは意外な所に潜んでいますね。
「おまえはハイエナみたいなヤツだな!」
「ありがとう」
ライオン等の他の動物が捕らえた獲物を横取りする
ずるいヤツというイメージがある。
しかし、実際はライオンの獲物を横取りするよりも
ライオンに獲物を横取りされる事の方が遥かに多いらしい。
恐らくは百獣の王ライオンの威厳を守る為に
ハイエナが汚れ役にされてしまったのだろう。
またハイエナは群れを作り、その群れの中での仲間意識や家族愛が深い事でも有名だ。
例えばサバンナで野生動物が足を怪我する事は死を意味する。
足手まといの仲間をかばっていると自分の身も危ないから見捨てるのだ。
しかし、群れを作るハイエナは怪我した仲間を見捨てたりはしない。
仲間で協力するのだ。
ライオン等より遥かに人間の美意識に近い行動をとる。
そもそも弱肉強食の世界で綺麗も汚いもない。
生きるか死ぬか、それだけだ。
見た目の悪さからズイブンと割を食っている可愛そうな動物である。
まあ、ハイエナは人間の評価など気にしていないだろうけど。。。笑
けっこう、偏見や思い込みというのは意外な所に潜んでいますね。
「おまえはハイエナみたいなヤツだな!」
「ありがとう」
2007年
05月
11日
(金)
20:34 |
編集
世の中の犯罪を
何でもかんでもテレビのせいにする人がいるけど
そういう人は
アンパンマンですら
「動物がしゃべるから子供の教育によくない」
と批判するのだろうか?
という事をネタとして書きました。
http://konkonyosuyosu.blog66.fc2.com/blog-entry-271.html
けれど、
アンパンマンではないですけど
実際、動物のしゃべる漫画に対して
「子供を惑わす生けない漫画」
という批判があったそうです。
もう今から数十年も前の話ですけど
手塚治虫氏の
「ジャングル大帝レオ」
です。
今では子供に見せたい漫画の上位にランクされ(たぶん)
芸術としての評価も高い手塚作品ですら
登場した当時は非難を受けていたのです。
こういうのを見ると
何が教育に良くて
何がよくないのか
本当に分かりません。
たぶん、何を見せるかは大きな問題ではないのでしょう。
もっと、違う所に教育の本質的な要素があるんでしょうね。
だって北斗の拳を見たからって
人の命を粗末にするとは限らないし・・・。
何でもかんでもテレビのせいにする人がいるけど
そういう人は
アンパンマンですら
「動物がしゃべるから子供の教育によくない」
と批判するのだろうか?
という事をネタとして書きました。
http://konkonyosuyosu.blog66.fc2.com/blog-entry-271.html
けれど、
アンパンマンではないですけど
実際、動物のしゃべる漫画に対して
「子供を惑わす生けない漫画」
という批判があったそうです。
もう今から数十年も前の話ですけど
手塚治虫氏の
「ジャングル大帝レオ」
です。
今では子供に見せたい漫画の上位にランクされ(たぶん)
芸術としての評価も高い手塚作品ですら
登場した当時は非難を受けていたのです。
こういうのを見ると
何が教育に良くて
何がよくないのか
本当に分かりません。
たぶん、何を見せるかは大きな問題ではないのでしょう。
もっと、違う所に教育の本質的な要素があるんでしょうね。
だって北斗の拳を見たからって
人の命を粗末にするとは限らないし・・・。
2007年
05月
08日
(火)
18:25 |
編集
サイコロって六つの面がありますけど
絶対に六つの面を同時に見る事って出来ませんよね。
最大でも三つの面までしか見る事が出来ません。
三つってことは半分です。
見たような気になっても
実は物事の半分は見えないのです。
絶対に六つの面を同時に見る事って出来ませんよね。
最大でも三つの面までしか見る事が出来ません。
三つってことは半分です。
見たような気になっても
実は物事の半分は見えないのです。
2007年
05月
07日
(月)
19:11 |
編集
歌の上手い人ってどういう事を言うのでしょう?
声が綺麗な事?
音が正確な事?
高い声が出せる事?
どれも一部でしかない。
結論から言うと
自分の想いや作曲者の意図を伝えることが出来る人が
「上手い人」
という事になる
と僕は思う。
ところで、
尾崎豊さんは
伝えることにこだわり続けた「アーティスト」でした。
ミリオンヒットとかメジャーデビューとか
そういうものは二の次、三の次で
とにかく伝える事が彼の音楽の全てだったように感じます。
伝える事のみに執着し、努力を重ねたので
彼の音楽はとても純粋で
いつも強烈な説得力を持っていました。
じゃあ、その説得力の正体は何か?
伝わる音楽とは何か?
そこには
音楽を思うハートだけではなく
技術的な裏づけも必要だと思います。
具体的には
例えば日本語にはイントネーションが存在します。
誰かに語りかける時も
怒っているときや嬉しい時でも微妙にイントネーションや抑揚が変化します。
それを歌でも再現出来るかどうか
それが伝えるという事ではないか?
と思います。
歌は歌詞の一文字一文字に音がついています。
だから、その音を再現する事だけに執着してしまいがちです。
でも、その一文字一文字がただ羅列しているだけでは
それは本当に文字の羅列であり音の羅列になっているだけで
言葉でもなければ、音楽にもなりえません。
言葉の持つ、イントネーションや抑揚を細かく再現する事。
まるで語りかけるように・・・
それをする事こそが
歌詞に命を吹き込み
羅列ではなく生きた音楽にする事なのだと思う。
で、普通の人はそういう事をなかなか感じる事が出来ないし
フクザツな音形の中で表現する事は出来ません。
だから、いろんな音楽に触れて感覚を磨いて
何度も練習して技術を習得します。
訓練によって
感覚と技術の両方を身につけていきます。
尾崎豊さんの歌には
そう言った伝える為に必要な技術が
完全に再現されています。
しかも、物凄く自然に。
それはきっと、普通の人が何度も何度も訓練によって身につけるものが
彼はただ想いを込めるだけで
自然に、完璧に出来てしまうのではないかと思います。
(もちろん、ナミナミならぬ努力はされていたでしょうけど)
あそこの言葉は「こう歌おう」とか「もっとこの言葉を強調しよう」
とか具体的な事は考えず
ただ、伝えたいという想いが
そのまま完璧に歌に乗り移ってしまう
そういう才能をもっていたのではないか
と思います。
だからこそ、
純粋で、自然で、やさしい歌が歌えたのではないか
と僕は考えています。
僕はそういう才能はないので
尾崎さんの歌を真似する時は
CDを何回も何回も聞いて
「ここではこういうテクニックを使っている」
というのをひとつひとつ確認しながら聞いています。
だから、真似をしても
どことなく不自然さが残ります。
限りなく近づける事は出来ても(それすら出来ませんが)
そのものにはなりえないのでしょう。
彼の魅力は
ただ、想う事を音楽によって
純粋に、自然に表現できるところにある気がします。
そして、そのために必要な技術を持ち合わせていたのです。
それを彼が長年の努力によって身につけたのか
それとも、神に授けられたのか
僕には分かりません。
恐らくその両方なのでしょう。
彼の歌は
聞けば聞くほどより吸い込まれてしまいます。
彼の真似をして
大勢に反発する歌を歌う人はたくさんいますけど
彼ほどの説得力や優しさを感じる歌には
まだ出会った事がありません。
僕が偏っているのかなあ???笑
声が綺麗な事?
音が正確な事?
高い声が出せる事?
どれも一部でしかない。
結論から言うと
自分の想いや作曲者の意図を伝えることが出来る人が
「上手い人」
という事になる
と僕は思う。
ところで、
尾崎豊さんは
伝えることにこだわり続けた「アーティスト」でした。
ミリオンヒットとかメジャーデビューとか
そういうものは二の次、三の次で
とにかく伝える事が彼の音楽の全てだったように感じます。
伝える事のみに執着し、努力を重ねたので
彼の音楽はとても純粋で
いつも強烈な説得力を持っていました。
じゃあ、その説得力の正体は何か?
伝わる音楽とは何か?
そこには
音楽を思うハートだけではなく
技術的な裏づけも必要だと思います。
具体的には
例えば日本語にはイントネーションが存在します。
誰かに語りかける時も
怒っているときや嬉しい時でも微妙にイントネーションや抑揚が変化します。
それを歌でも再現出来るかどうか
それが伝えるという事ではないか?
と思います。
歌は歌詞の一文字一文字に音がついています。
だから、その音を再現する事だけに執着してしまいがちです。
でも、その一文字一文字がただ羅列しているだけでは
それは本当に文字の羅列であり音の羅列になっているだけで
言葉でもなければ、音楽にもなりえません。
言葉の持つ、イントネーションや抑揚を細かく再現する事。
まるで語りかけるように・・・
それをする事こそが
歌詞に命を吹き込み
羅列ではなく生きた音楽にする事なのだと思う。
で、普通の人はそういう事をなかなか感じる事が出来ないし
フクザツな音形の中で表現する事は出来ません。
だから、いろんな音楽に触れて感覚を磨いて
何度も練習して技術を習得します。
訓練によって
感覚と技術の両方を身につけていきます。
尾崎豊さんの歌には
そう言った伝える為に必要な技術が
完全に再現されています。
しかも、物凄く自然に。
それはきっと、普通の人が何度も何度も訓練によって身につけるものが
彼はただ想いを込めるだけで
自然に、完璧に出来てしまうのではないかと思います。
(もちろん、ナミナミならぬ努力はされていたでしょうけど)
あそこの言葉は「こう歌おう」とか「もっとこの言葉を強調しよう」
とか具体的な事は考えず
ただ、伝えたいという想いが
そのまま完璧に歌に乗り移ってしまう
そういう才能をもっていたのではないか
と思います。
だからこそ、
純粋で、自然で、やさしい歌が歌えたのではないか
と僕は考えています。
僕はそういう才能はないので
尾崎さんの歌を真似する時は
CDを何回も何回も聞いて
「ここではこういうテクニックを使っている」
というのをひとつひとつ確認しながら聞いています。
だから、真似をしても
どことなく不自然さが残ります。
限りなく近づける事は出来ても(それすら出来ませんが)
そのものにはなりえないのでしょう。
彼の魅力は
ただ、想う事を音楽によって
純粋に、自然に表現できるところにある気がします。
そして、そのために必要な技術を持ち合わせていたのです。
それを彼が長年の努力によって身につけたのか
それとも、神に授けられたのか
僕には分かりません。
恐らくその両方なのでしょう。
彼の歌は
聞けば聞くほどより吸い込まれてしまいます。
彼の真似をして
大勢に反発する歌を歌う人はたくさんいますけど
彼ほどの説得力や優しさを感じる歌には
まだ出会った事がありません。
僕が偏っているのかなあ???笑
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