実はタイトルはダジャレです!笑
コンコンコン誰か来たきつね?
柳沢発言
2007年 01月 30日 (火) 18:39 | 編集
こういうのを
重箱のスミをつつく
というのではないでしょうか。

この発言の是非はともかく
ひとつの事件よりも
ひとつの政策よりも
ひとつの失言がマスコミを賑わす
というのは
どうなんでしょう。
歴史小説
2007年 01月 26日 (金) 18:52 | 編集
最近歴史小説にはまっています。

歴史小説の魅力のひとつは
妄想できるところにある。
(また妄想か・・・笑)
もし、武田信玄が死ぬのが三年遅ければ・・・
もし、新宮党を粛清していなければ・・・
等など
だから
志半ばで敗れ去る武将の方が
惹かれてしまう。
判官びいきですな。


合戦の前になると
読むスピードが上がるのが分かる。
自分の心臓の鼓動が聞こえてきそうですらある。
合戦場での
馬の嘶きや
槍や鎧がぶつかる金属音
鬨の声を想像するだけでゾクゾクする。
漢を感じるわけですな。

でも、そんな時に
ふと
「槍で刺されたら痛いだろうな」

と考えてしまう。
その瞬間
自分はへタレだと思って一気に冷めてしまう。

戦闘中の兵は
一種の催眠状態なんでしょうね。

これで死ぬかもしれない
という状態の時に
主君の為に全力を尽くす
という感覚が
想像もつかない。

だから余計に男を感じてしまうわけです。
男を感じるというのは
そっちの意味ではありません。笑


上杉謙信が
戦国時代の武将では圧倒的人気を誇るようですが
確かに魅力的です。
吉川英治氏の上杉謙信を読みましたけど
思慮深さ、
高い精神性、
鋭い感受性、
を感じます。

若くして
大義大私の感覚を持ちえた稀有な存在。

合理主義的な考えの信玄と
対比される理由が分かりますね。

もし、
現代に生きていたら
信玄や謙信はどんな生き方をしていたのかな?
ゆとり教育の是非(論点はそこじゃないだろう)
2007年 01月 25日 (木) 18:15 | 編集
ゆとり教育撤廃に対して反対意見が出ているらしい。
「知識に偏重した教育ではなく人間力の向上を」
というのが反対派の意見だそうだ。

言いたいことは分かります。
確かに知識を詰め込むだけの教育は為されるべきではありません。

ただ、
ゆとり教育こそが知識偏重に加担していると思うんです。

なんていうか
授業時間を増やす目的は
多くの事を教える為にあるべきではなくて
ひとつの事をじっくり考える為に
あるべきだと思うんです。

ただの詰め込みではなくて
過程を重視して
物事の仕組みや構造を理解する。
それだけの内容を教えるには
現在のゆとり教育は逆効果ではないか?

だから、
ゆとり教育を撤廃するにしても
授業時間を増やして
多くの事を教える為に行うのではなくて

しっかり
「考える事」
を教えるべきなのだと思います。
だから、授業時間を増やすべきなのです。

というのが
僕の持論です。


だから、
授業時間を増やして
ゆとり教育を撤廃した所で
ただ知識を詰め込むだけでは
意味がない。

ゆとり教育かどうかを論じるより
過程を重視した教育が出来るかどうかを
議論の中心にすべきだと思うのです。
風林火山(井上靖)
2007年 01月 24日 (水) 11:43 | 編集
大河ドラマになってるという事もあって読みました

最初の方は
戦国時代というのはやっぱり
今の価値観では考えられないくらい
ドライな世界なのかな
と、思っていました。

実際、最初の頃の
勘助はどこか世間に対して
心を閉ざしている。
人間の情を否定している感があった。

けど、諏訪御寮人とその息子勝頼との出会いによって
どんどん人間臭くなっていく姿が印象的だった。

特に憎悪の対象だった?
義信をかばって死ぬシーンは
めちゃくちゃ人間臭い。

最初のキャラからは考えられない。


何度も言った事けど
時代小説の魅力のひとつは
妄想できるところにある 笑


山本晴幸の存在自体
不確定らしいけど
どういう人物で
どんな気持ちで合戦に望んだのか
とか
考えるだけ楽しい。

戦国時代は本当はもっとドライな世界だったのかもしれないけど
僕は義や情に厚い武将が命を懸けて戦った熱い世界なんだと思いたい。
今更何を言うのか?発掘あるある大辞典
2007年 01月 20日 (土) 20:38 | 編集
以前から
キナ臭い番組の代表格として
エントリーされていた?
当番組ですが
ついにシッポを掴まれてしまいましたか・・・。笑


そもそも、
被験者の数が少なすぎるし
食品なんてどんなものでも
体に良い要素を持っている。

肉だってタンパク質や脂肪が豊富に含まれていて
それが体に悪いわけではない。

要はどんなもので
取り過ぎたら体に悪いけど
適度に取れば体に良い。


今更、ウソを報道していました
と、言われても
特に驚く事もない。

常識的に考えれば
誇張された番組内容である事はすぐに分かりそうなものだ。

とは言え
ちょっと調子に乗りすぎた部分はあるのだろう。

なんせ何を言っても
視聴者は信じるのだから・・・。

今回の問題は
あるある大辞典制作スタッフの問題というより
あんなやりすぎ番組に踊らされいた
視聴者の一般常識の欠如

が表面化した問題
とすべきではないか
と思われる。

こう言っちゃ何だけど
一種のインチキ宗教みたいなもんですからね。
生きるということ
2007年 01月 16日 (火) 20:04 | 編集
谷川俊太郎氏の詩で
「生きる」
というのがある。

小学校の頃から最も好きな詩のひとつでした。

生きるという最も壮大なテーマは
どんなタイソウな表現を使っても表現しきれるものではない
と、思っていたけど
この詩はその壮大さをストレートに表現している。
でも、ひとつひとつの言葉は
すごくシンプル。
いちいちかっこいい。笑

でも、最近、自分自身が「生きる」という事を
全然理解出来ていなかったのではないだろうか
と思う。
いや、今でも全然理解できていない。


「生きる」
を読むと涙が出てくる。
嬉しいようで
苦しいようで
自分でもよく分からない。


この年になると
身近な人を失うという事も経験します。

その度に
「生きる」
事について考えます。

時間を止められない事に恐怖するし
時間が止められない事に苛立ちを覚える
人の死はどうしようもないくらい辛いのに
いつの間にかその辛さにも慣れてくる。
忘れてしまう。

本当に辛かったのかさえ忘れてしまいそうになる。

自分の力でどうしようもない事には
どう対処すればいいのかな?
諦めたらいいのかな?
「受け入れる」
というのが分かっているようで
分かっていないようで・・・。

ある程度年齢を重ねると
見えてくる答えがあるんだと思っていたけど
もしかしたら答えなど見えてこないのかもしれないなあ

答えはないけど
避けられない事だから
そのまま自分の中を通過していく。

何か今は通過していくんですよ。
人の死が自分の中で受け止め切れずに
零れていく気がする。
もっと受け止めないといけない気がする。
どうしたらいいのかな???




僕には
木もれ陽がまぶしいということも
鳥が羽ばたくということも
笑えるということも
忘れてしまいそうになる。

生きるということがあまりに当たり前すぎて忘れてしまう。

だからこの詩をたまに読みます。
そして生きるということを少しだけ考えます。
少しだけです。
あんまり考えると禿げそうだし・・・。
今はそれくらいです。


なんかまとまりがありませんけど
生きる事の答えが見出せない以上はまとめられません。笑

でも、なんとなく今の気持ちを形にしてみました。
まあ、それだけです。
ナルニア国物語
2007年 01月 11日 (木) 19:12 | 編集
ハリーポッターとかナルニア国物語
とか見ていると
小さい頃を思い出す。

タンスの扉を開けると
魔法やぺガサスのいる世界が広がっていたらなあ
と、いつも考えていた。

もちろん、扉を開けて
そんな世界に行った事はなかったけど
開けてはいけない
と言われた扉には
きっと何かある
と、ドキドキしていた。

幼稚園で
開けてはいけないと言われた扉を開けたら
モップと雑巾があった・・・orz

だから開けてはいけないと先生が言ったのか。
夢が壊れるから。



きっと
原作者の人も
疎開先で退屈な日々を送っている時に
いろいろ空想の世界を膨らませたんだろうなあ
と、思う。



もう今はおとぎの国を空想しなくなったけど
読んだ本の内容について頭の中で分析したり
サッカーの試合内容を評価したり
人のしゃべり方について考えたり
頭の中で考え事をすることが多いのは
小さい頃の空想によって
妄想力が鍛えられたからだと思う。笑

ブログはそんな頭の中の妄想?
を文面化したものであったりする。
それはそれで楽しい。

三つ子の魂百まで
と言うけど
昔も今も
ボーっとしているように見えて
頭の中はどうでもいい事にフル稼働している。
何の順位?
2007年 01月 05日 (金) 17:54 | 編集
サッカー(日本代表)>野球>ラグビー

さて何の順番でしょう。


答え:スタジアムの歓声、音の高い順です。

サッカーの試合の歓声は女性の悲鳴みたいな声がメイン。
野球は男と女の混じった「ワー」という声
ラグビーは野太い声「ウオー」戦国時代の鬨の声みたいです。

一度注意して聞いてみてください。

これによってそのスポーツを見ている人の層が分かりそうです。

まあ、それだけです。
よくある間違い
2007年 01月 04日 (木) 17:53 | 編集
問 傘をさす理由を述べよ
答 ×雨が降っているから
  ○雨に濡れない為
合唱に対する偏見
2007年 01月 03日 (水) 00:30 | 編集
日本では
「合唱」
というと何かちょっとマニアックというかオタッキーなイメージがありませんか?

しかし、この文化はかなり素晴らしい。
モノを創るという喜び
多くの人と共有出来る喜び
他人に何かを伝える喜び
いろんな感覚的、精神的な喜びをもたらしてくれます。

しかも、
スポーツと違って
ある程度の年齢になっても続けられる。
そして、そこそこしんどい。

もっと、日本で浸透したらいいのになあ
なんて思います。

ただ、大人の遊びという気がしないでもない。
スポーツとの最大の違いは
結果が数字で表れないところにある。
自分の実力や自分がその集団でどういう影響を及ぼしているのかを
自覚しにくい。
周りからアドバイスを貰っても
それを受け入れる土壌がないと
意味がないし、
何より自分自身が感覚的に自覚していないと
本当に理解しているとは言い難い。

何も考えず
精一杯歌ってスッキリした
で、終わるのならそれでいいけど
それでは本来の喜びのほとんどを逃してしまう。

喜びを感じるにはある程度の
感性と理性が必要ですね。

まあ、だからこそ
多くの人には魅力の分かりづらい
入り口の狭い文化になるのかもしれません。

意外とマニアックでもないのよ。
そういう人もいるけどね。←それが悪いとは言ってないよ
2006年を振り返る
2007年 01月 01日 (月) 13:23 | 編集
一月・・・正月

二月・・・トリノ五輪 
荒川静香金メダル、カーリングめちゃはまった。
但し、「カー娘」のマスコミ報道はうざかった。

三月・・・WBC優勝
イチロー選手の姿勢に自分の技術以外の
今までと異なるモチベーションを持ち始めた事を実感した。

四月・・・プロ野球開幕

五月・・・チャンピオンズリーグ
決勝でアーセナル惜敗。
レーマン退場
俺号泣

六月・・・ワールドカップ開幕
日本惨敗。ジーコ采配に怒り
夢にまで見た黄金世代の晴れ舞台は何とも情けなかった。

七月・・・ワールドカップはイタリア優勝
ジダンのヘッドバッド
中田の引退
衝撃の連続だった。

八月・・・高校野球が白熱
連日、逆転に継ぐ逆転と熱戦が展開。
但し、最後は全部ハンカチ王子に持っていかれた。
智弁和歌山や青森山田を覚えている人はいるのか?

九月・・・阪神が怒涛の追い上げ
今年阪神ファンの唯一の楽しみだった。

十月・・・中日ドラゴンズ、日本ハムフィターズが優勝
新庄剛の楽しむ野球

十一月・・日米野球、辞退者続出、日本全敗。
「今時の選手」が(自分と同年代だけど・・・汗)
今までの選手とは異なるモチベーションを持っているように感じた。
これも個人主義の流れかな?

十二月・・ディープインパクト、有馬で有終の美
強かった。

スポーツだけでもいろいろあって
トリノが遠い昔の様にすら感じます。
去年のスポーツは単なるエンターテイメントとしてでなく
いろいろ考えさせられる問題が多かったように思います。

今年もスポーツを見ながらいろいろ考えてみたい。
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