実はタイトルはダジャレです!笑
コンコンコン誰か来たきつね?
いじめた生徒を出席停止にする
2006年 12月 29日 (金) 17:46 | 編集
テレビで
「いじめた生徒を出席停止にするかどうか」
について
視聴者アンケートをしていました。

僕は正直出席停止に賛成する人がひとりでもいるのかな?
と、思っていたら
なんと七割の人が賛成だとか・・・。

どうなってんだ???
本気??????????

出席停止に反対する理由をひとつずつ述べていきたいと思います。
あまりに当たり前の意見ばかりですけど。

1、抑止にならない。
まず、いじめて出席停止になるんなら
学校に行くのが嫌な生徒は喜んでいじめをするでしょう。
出席停止はいじめに対する抑止になりえないでしょう。

2、ペナルティを課す方法は安直すぎる。
いじめの問題はいじめた方が悪い
という単純な問題ではありません。
いじめた人間に罰を与えた程度では
何の解決も生みません。
いじめた人間やいじめられた人間の心のケアが必要な時に
隔離させるだけでは心の問題が悪化する恐れがある。

3、過保護すぎる。
いじめられた人間はもしかしたら
今後の人生でも同じような事態に陥る事があるかもしれません。
その度にいじめた人間を隔離していくのですか?
いじめた人間もいじめられた人間も
「いじめ」という問題と正面切って向き合う必要がある。
その機会を奪う事は愚行としか思えない。


学校に来ることが
何より意味がある事だ、
と思う。


最近は問題があると
すぐにそれと向き合う事をせず
切り捨てるという安直な方法を考える人が多い。
そういう善悪二元論的な考えが
今の日本の諸悪の根源だと思う。

でも、今の日本では俺の考えって
少数派なんですよね・・・。
大学の教養について
2006年 12月 28日 (木) 19:58 | 編集
大学で一般教養ってありますよね。
専門馬鹿を作らないための幅広い教養を身につける為だとか。

はっきり言って僕は大学で教養を教える必要はない
と、思っています。

もちろん、専門馬鹿はいけません。
人生で最も必要な物は専門的な知識ではなく
総合力です。
特にどんな仕事でも最も重要な能力は
コミュニケーション能力だと思います。
どれだけ専門的な分野に強くても話せない人間は使えない。
コミュニケーション能力とは
空気を読む力、判断力、表現力、教養
あらゆる能力の総合力と言えるでしょう。

でも、それとこれとは話が違う。
正直な話、教養やコミュニケーション力は大学でなくても
身につけることが出来る。
大学の講義などより、自分で本を買って読んだほうが遥かに効率が良い場合もある。

だけど、
例えば「ニトロベンゼンの還元によるアニリンの合成実験」
は大学の様な実験施設のあるところでないと絶対学べない。

大学の存在意義はそこにある
と思う。

専門を学ぶからこそ、
大学でしか学べない事を学ぶからこそ、
大学としての存在意義が生まれるのだ。
教養はテメエで学びやがれ。

と、思う。

「幅広い知識と見識を持った人材の育成」
等、ただの綺麗事にしか聞こえない。
おまえらは何しに大学に来たのだ???

大学は少子化や法人化に伴いスリム化が進んでいるが
こういう部分は削ぎ落とされるべきだと思う。

専門馬鹿を作るのはよくないから大学でも教養を!
等という反対意見が出てくるのが個人的にはうざい。

専門馬鹿になるかどうかは
大学のカリキュラムの問題ではない。
個人の問題だ。義務教育じゃないんだから・・・。

教養の授業をやったって
馬鹿は馬鹿だ。
バイトのひとつでもやって人生経験を積んだほうが
よほどいい場合もあるような気がする。
2006年 12月 25日 (月) 11:18 | 編集
女子の高校駅伝を見ていました。
兵庫県民という事もあって
須磨に注目していました。

みごとな逆転劇。


駅伝は、マラソンと違って走者がめまぐるしく代わりますから
30秒の差のリードでも
決してセーフティとはいかないんですね。
見る側としてはその辺に面白さを感じますね。

よく次世代の者へ意志を受け継ぐ事を
「襷を繋ぐ」
なんて比喩表現しますけど
駅伝というのは
本当に
自分達の想いを襷に込めて
次のランナーへ繋いで走るんだなあ。。。
と、しみじみ感じました。

そう言うと聞こえはいいですが
裏を返せば
自分のミスや失速がそのままチームの成績に繋がってしまう。

どの集団競技にも共通する事でしょうけど
なんか駅伝にはひとりひとりの責務の重さ
をリアルに感じてしまいます。

須磨学園の第一走者の選手は
今頃ホッとしているでしょうね。
ミスをしたわけではないでしょうけど。
僕はそれがレース中ずっと気になっていました。
一位になった時は
「やれやれ」
と、自分の事のように安心していました。

何の関係もないんですけど・・・。笑
Tuesday
2006年 12月 21日 (木) 19:16 | 編集
中学の頃の話だけど
僕は最初
Tuesdayを「チュースデイ」
と発音すると思っていました。

で、授業でも
ずっと「チュースデイ」
と言っていました。

その為、エロくて痛いヤツと思われていた様です。

確かに、みんわ笑えなくてスルーしているネタを
繰り返し言うヤツほど痛い人はいませんよね。

ええ。僕はエロくて痛いヤツです。
最悪です。

まあ、それだけです。
今更だけど、JRの責任を問う前に・・・
2006年 12月 20日 (水) 19:23 | 編集
毎日新聞の記事の抜粋です。

▽JR西日本安全諮問委員会委員の芳賀繁・立教大教授(産業心理学)の話 事故の直接原因は、無線に注意が集中し、ブレーキ操作が遅れたことだと考えられる。運転士の行動の背景説明として、ゆとりのないダイヤや、日勤教育など会社の安全管理上の問題を個別に指摘する方針なのだろう。興味深いのは、口裏合わせが完全に出来なかった原因が、列車の遅れに対する乗客からクレームだったこと。ダイヤのゆとりに対する社会全体の理解も必要となるだろう。

僕はここが全てだと思う。
JRの安全に対する認識の甘さは当然指摘されるべきだが
そうなった背景には一分や二分の遅れすら許さない
乗客(社会)の姿勢がある
と、思う。

電車の遅れは確かにムカつく。
朝は尚更だ。


先日、電車が緊急停車して電車が遅れたのだが
原因が
「駆け込み乗車をしひようとした乗客が鞄を扉に挟んだから」
だという。

ふざけた話だ。

これでJRに責任問題を問うのはいかがなものか

JRに問題がないわけではないが
全てをJRの責任にする前に
客の方も社会の方も省みるべきことがあるはずだと思う。
選手とファン
2006年 12月 18日 (月) 18:14 | 編集
ポルトガル代表にルイス・フィーゴ
というサッカー選手がいる。

フィーゴは
年間最優秀選手にも選ばれた事のある
世界最高の選手のひとりだろう。

かつてはスペインのバルセロナに所属していた。
フィーゴは人間性も素晴らしく
バルセロナではとても人気があった。
なのに・・・
ライバルチームのレアル・マドリードに移籍してしまった。

バルセロナのファンにとってレアルとは
ライバル以上の存在。
スペインの独裁政権がカタルーニャを弾圧した歴史もあって
レアル(スペイン国王公認チーム?)に勝つ事は
自分達の民族の誇りを証明する事と
同義であったりする。

とにかくそんな敵対しているチームに移籍したもんだから
ファンの反感を買ってしまった。
多額の移籍金が動いた事から
金の亡者とか裏切り者とかボロクソに言われた。

ちょうど、
広島の江藤選手がFAで巨人に移籍したような感じかな?
(もっともっと激しく憎まれていたけど・・・汗)
日本はかなり平和な国だからね。

何で移籍したのか?
理由がよく分からなかったけど
どうやら
最高のメンバーを揃えた
最高のチームで
最高のサッカーをして
最高の名誉を手に入れたい
と思ったからだそうだ。

この理由も江藤選手と似てますね。

個人的には
バルセロナの英雄というポジションを捨ててまで
得る価値があるのか
僕には分からない。

僕は人に好かれることを
人生で一番大切にしたいというタチなので
もしフィーゴの立場なら移籍はしていない。
たとえお山の大将でもいいから
ファンに嫌われたくない
と、考えるはずだ。

それでもフィーゴは移籍を選んだ。
だから僕は逆にフィーゴをすごく尊敬する。
自分の中で、得たいと思う事があって
そのためには犠牲も厭わなかった。
さらなる上を目指して
自分自身を向上させようとする熱意が
ファンに嫌われる事をも凌駕したわけです。


自分の大好きなチームを捨てて
移籍する選手に対しては
「裏切り者」
たとえ弱くてもチームに残る選手は
「英雄」
これはどうやら万国共通の感情らしい。

でも、実際の選手の心の中には
もっと大きい感情が動いている。
なんていうか
スポーツを見る時
少しでもいいから選手の気持ちになって見たいなあ
と、思ったりする。
で、選手の方にも
少しでもいいからファンの気持ちになってもらいたいなあ
とも、思ったする。

選手とファンは本当に別の生き物で
全く違う思考や価値観を持っている。
そのことはファンも選手もお互い理解しないといけない問題なんだろうなあ
と、思ったりする。


なんか上手く書けなかったけど
そんな感じ
アンパンワン
2006年 12月 15日 (金) 21:56 | 編集
昔、バイオハザードなどの
殺す系のゲームが批判された事がありました。
「あんなのがあるから
 人の命を粗末にするヤツや
 カンチガイするヤツが現れるんだ!」
という具合。

それだったら
アンパンマンに対して
「あんなのを見て
 本当に動物がしゃべると
 カンチガイする子供が出たらどうするんだ!」
という事になるのだろうか?



ちなみに
友人の情報によると
愛犬のチーズは
「アンパンワン」
としゃべるらしい。

カバやウサギがしゃべるのに
犬だけしゃべらないのは不公平だと思っていたが
その辺も
やなせたかしはぬかりがない。笑
一周年
2006年 12月 12日 (火) 21:16 | 編集
ブログを始めて一年が経ちました。

始めた頃は毎日更新していましたが
最近はサボリ気味。

そもそもブログの内容というか方向性も一年でずいぶん変わってしまった。
もともとは日記の延長みたいな感覚で書いていたんだけど
思いのほか自分の知らない人がたくさん訪問してくれていたので
自分の生活に関する日記なんか書いても
意味分からないだろうな
面白くないだろうな
なんて思うと
必然的に
内容が社会の事や一般論的な方向へ移ってしまった。

(一応)全世界に公開されているので
下手な事はかけないですしね。←自意識過剰???笑

ブログなんてのは自己満足でいいのだろうけど
自分の目標として
なるべく他人が読んで面白い
と感じるような内容にしたい
と思っているので
(実際に読んだ人が面白いと感じるかは結局個人の問題だけど、自分なりのベストは尽くしたいという意味)
どうしても
自分の日記などは避けてしまう。

ブログを始めた頃はもっと自由に書きたい事を書いてきたけど
自分の性格的に自己満足は極力避けたい
という想いが強い。
最終的には自己満足を避けたいという想い自体も
自己満足なのかもしれないけど(屁理屈???)
なるべく
他人の目を意識した内容でありたい
と、考えています。

この辺は性格だなあ、と
つくづく感じます。

昨日、ベベットの例を出して
大学のサークル活動での「楽しむ」という事について書きましたが
よくいろんな人と衝突しました。
「自分が楽しむ事がそんなに大事なのかよ!もっと大事な事があるだろう?」
「そんなもんないよ!自分が楽しむ事が一番大事だよ」
みたいな感じですね。


僕は性格として
他人を楽しませたり、喜ばせる事が
人生で最も大きな喜びでありモチベーションである

という人間です。
大袈裟に言うと
そういう時こそ
自分の存在意義というか
生きてる価値みたいなのを感じます。



話がそれちゃいました。。。汗

なるべくいろんな人が見て楽しめるような内容にしたいと思いますので
意見や感想など
何でも良いのでコメント等頂けたら幸いに思います。
今後もよろしくお願いします。
ベベット
2006年 12月 11日 (月) 08:25 | 編集
僕は今やっている事が楽しいと
それをずっと続けたいと思う気持ちが強い。
たとえ、この後にもっと楽しい事があると分かっても
今やっている楽しい事を優先させてしまいたくなる。

たとえば、友達と話をしていてすごく楽しいと
この後、帰ってすごく楽しみにしていたサッカーの試合があるとしても
どうでもよくなる。
四年間ずーっと楽しみにしていた試合でさえ・・・。笑

食事などに行っても
自分から出ようと切り出す事はあまりない。
ずっと、いたいから。

なので、よくダラダラしてしまう。
ダラダラは僕の人生の中で最も大きな楽しみのひとつだったりする。笑



ところで、今日のタイトル「ベベット」について。
ベベットとはサッカーの元ブラジル代表選手。
94年ワールドカップ・アメリカ大会でブラジルの四回目の優勝に貢献したストライカーで
ブラジルの英雄である。

彼はなんと人生で一度も徹夜をした事がないらしい。
「徹夜で飲む、なんて人生において全く無駄な事だから僕は絶対にしない」
のだそうだ。
そう言われたら身も蓋もないのだけど、
こういう人が成功するというか名声とかを得られるタイプの人なのかもなあ
と思った。

恐らくベベットにとって
人生とは
自分の目的を遂行するというミッションとしての意味合いが強いのだと思う。
で、目的を完遂する事が彼にとっての最大の喜びであり楽しみなのでしょう。
だから意味がない事な絶対しない。

ちなみに
徹夜を人生の至極の喜びとしている僕としては信じられない。笑
(無駄こそが人生、大事なのは意味のあるなしではない!と思っているから・・・汗)
ダメ人間とも言いますね。

ベベットのこの発言はけっこう印象的というか衝撃的で
僕にはこういう生き方出来ないなあ
と、思ってしまった。
ロナウジーニョの謎
2006年 12月 08日 (金) 22:15 | 編集
ロナウジーニョの謎

ロナウジーニョはロニーの愛称で親しまれている。

ん?ちょっと待って?

そもそも
ロナウジーニョも本名ではなく愛称のはず。

確かロナウジーニョの本名はロナウドだ。
ロナウドが二人いるので
「小さいロナウド」という意味の
ロナウジーニョの愛称でと呼ばれている、
とか。

だったらロニーは何?
愛称の愛称???

ブラジル人の名前はよく分からん。


あ、例えばこういう事か
橋本君→はしもっちゃん→もっちゃん→もっち→餅さん

最後は原型がなくなる
よくある事ですね。
Wiiについて
2006年 12月 07日 (木) 22:39 | 編集
実際にスポーツやった方が早くないか?
高原選手
2006年 12月 05日 (火) 20:30 | 編集
ブンデスリーガ・フランクフルトの高原選手が
アーヘン戦でハットトリックを記録しました。

高原選手は
日本代表なんかの試合を見ていると
もう呪われているんじゃないの?
っていうくらいシュートが枠に飛ばない事があります。

決定力不足の日本代表。
結局、ワールドカップでは
それを払拭するだけの活躍が出来なかったわけですが

ブンデスリーガでは
日本人離れしたゴールや個人技をけっこう決めたりするんですね。
高原選手の印象的なゴールは
そのほとんどが相手の裏のスペースを突いて
追いすがるディフェンスを引きずったまま
豪快に決める
というパターンのように思います。
ドイツで活躍する高原選手を見たときに
ついに日本代表も全てのピースが揃ったなあ
なんて期待したんですけどね。


中村俊輔選手、稲本選手、小野選手、そして高原選手等
いわゆる黄金世代海外組(中村選手は少しズレてるけど)の良い時のプレーを見ていると
日本の実力はもっとあったんじゃないかなあ
なんて今でも思ってしまいます。

もっとも、良い時のプレイを持続させられないという事は
やっぱりそれが実力なのかもしれませんけどね。


ああ、黄金世代・・・。
体罰は「絶対」ダメなのか?
2006年 12月 03日 (日) 10:51 | 編集
世の中に「絶対」はほとんどの場合あり得ないと思う。

これさえやっておけばよい
とか
これは絶対ダメ
というものが存在するほど世の中の仕組みは単純ではない
と思うからです。

何の話かって言うと
「体罰」についてです。
体罰が絶対ダメ
という人がいるけど
それは不当な体罰によって心に傷を負った子供の場合しか見ていないのではないか
と、思うんですね。

世の中にはいろんな子供がいて
いろんな育ち方をしていますから
世の中の全ての子供に
一律で体罰が良くないと
決め付けてしまうのは
危険だと感じてしまいます。


だったら、どういう体罰が良いのか?
結局は怒る事と叱る事の違いを教育する側がどの程度理解しているか
だと思うんですね。

僕の母親は
「体罰は本当は良くないと思うし、後悔している事も多いけど
 仕方ない場合もある。
 でも、グーで殴るのはダメ。グーは憎しみがこもる。
 平手は理性が残っている」
と言うような事を言っていました。

まあ、実際にパーが理性でグーが憎しみかは分かりませんが(笑)
少なくとも母親は
叩く時は、感情的ではなく理性的であろうという意識を持っていた
という事は間違いないでしょう。

叩く相手に対して、
「これだけは分かって欲しい。譲れない。」
という一種の愛情が心の中にあるのなら
それは相手の心の中に傷を残すだけのものにはならないと思うんですよ。

たぶん、本当に議論すべきは
目に見える体罰そのものではなくて
叱る側の心の問題なのだと思うのですが

得てしてこの手の問題は
明確で一義的な線引きをしようとするので
目に見えるものが議論の対象になってしまうのでしょう。

もちろん
「絶対に」防いでいかないといけない場合の体罰もあるでしょうが
体罰そのものを「絶対に」否定するのはいかがなものか
と思うわけです。


「絶対○○だ」
と言う言葉を使う人は
多くの場合バランス感覚を欠いた
極論である事が多い
というのが個人的な考えです。
フランスの小話
2006年 12月 01日 (金) 21:20 | 編集
フランスの小話でこんなのがあるらしい

質問:太陽と月どっちが役に立つか?
答え:月
理由:暗い時に照らしてくれるから


こんな事をマジメに言う人は絶対にいないだろ?
なんて思うけど

自分たちの土台にあるもの
当たり前のようにあるもの
そういうものを全く無視した議論。

意外といろんなところに潜んでいます。
copyright (C) コンコンコン誰か来たきつね? all rights reserved.
designed by polepole...