2008年
05月
21日
(水)
19:45 |
編集
尾崎豊さんを妄信する人は
「15の夜」「卒業」しか知らない。
「盗んだバイク」と「窓ガラス壊した」のクダリだけ見て「かっこいい」って勘違いする。
物事の本質がまるで見えてない。
尾崎豊さんを嫌う人は
「15の夜」「卒業」しか知らない。
「盗んだバイク」と「窓ガラス壊した」のクダリだけ見て「犯罪じゃん」って批判する。
物事の本質がもっと見えてない。
そもそも時代が違う。
今の時代には学校が束縛される場所って感覚は理解出来ないと思う。
だって今は保護者が学校に文句言って生徒のワガママを助長させてる節がある。
昔の様に画一化された価値観の中で生かされていたからこそ
自由という言葉が輝きを持っていた。
今は自由すぎて自由を弄んでいる人の方が多いんじゃないかな?
多くの人にとっては自由でない事の方が生きやすいんだと思う。
自由って大変。夢の為に生きるなんてすごく辛い。
「15の夜」「卒業」しか知らない。
「盗んだバイク」と「窓ガラス壊した」のクダリだけ見て「かっこいい」って勘違いする。
物事の本質がまるで見えてない。
尾崎豊さんを嫌う人は
「15の夜」「卒業」しか知らない。
「盗んだバイク」と「窓ガラス壊した」のクダリだけ見て「犯罪じゃん」って批判する。
物事の本質がもっと見えてない。
そもそも時代が違う。
今の時代には学校が束縛される場所って感覚は理解出来ないと思う。
だって今は保護者が学校に文句言って生徒のワガママを助長させてる節がある。
昔の様に画一化された価値観の中で生かされていたからこそ
自由という言葉が輝きを持っていた。
今は自由すぎて自由を弄んでいる人の方が多いんじゃないかな?
多くの人にとっては自由でない事の方が生きやすいんだと思う。
自由って大変。夢の為に生きるなんてすごく辛い。
2007年
05月
07日
(月)
19:11 |
編集
歌の上手い人ってどういう事を言うのでしょう?
声が綺麗な事?
音が正確な事?
高い声が出せる事?
どれも一部でしかない。
結論から言うと
自分の想いや作曲者の意図を伝えることが出来る人が
「上手い人」
という事になる
と僕は思う。
ところで、
尾崎豊さんは
伝えることにこだわり続けた「アーティスト」でした。
ミリオンヒットとかメジャーデビューとか
そういうものは二の次、三の次で
とにかく伝える事が彼の音楽の全てだったように感じます。
伝える事のみに執着し、努力を重ねたので
彼の音楽はとても純粋で
いつも強烈な説得力を持っていました。
じゃあ、その説得力の正体は何か?
伝わる音楽とは何か?
そこには
音楽を思うハートだけではなく
技術的な裏づけも必要だと思います。
具体的には
例えば日本語にはイントネーションが存在します。
誰かに語りかける時も
怒っているときや嬉しい時でも微妙にイントネーションや抑揚が変化します。
それを歌でも再現出来るかどうか
それが伝えるという事ではないか?
と思います。
歌は歌詞の一文字一文字に音がついています。
だから、その音を再現する事だけに執着してしまいがちです。
でも、その一文字一文字がただ羅列しているだけでは
それは本当に文字の羅列であり音の羅列になっているだけで
言葉でもなければ、音楽にもなりえません。
言葉の持つ、イントネーションや抑揚を細かく再現する事。
まるで語りかけるように・・・
それをする事こそが
歌詞に命を吹き込み
羅列ではなく生きた音楽にする事なのだと思う。
で、普通の人はそういう事をなかなか感じる事が出来ないし
フクザツな音形の中で表現する事は出来ません。
だから、いろんな音楽に触れて感覚を磨いて
何度も練習して技術を習得します。
訓練によって
感覚と技術の両方を身につけていきます。
尾崎豊さんの歌には
そう言った伝える為に必要な技術が
完全に再現されています。
しかも、物凄く自然に。
それはきっと、普通の人が何度も何度も訓練によって身につけるものが
彼はただ想いを込めるだけで
自然に、完璧に出来てしまうのではないかと思います。
(もちろん、ナミナミならぬ努力はされていたでしょうけど)
あそこの言葉は「こう歌おう」とか「もっとこの言葉を強調しよう」
とか具体的な事は考えず
ただ、伝えたいという想いが
そのまま完璧に歌に乗り移ってしまう
そういう才能をもっていたのではないか
と思います。
だからこそ、
純粋で、自然で、やさしい歌が歌えたのではないか
と僕は考えています。
僕はそういう才能はないので
尾崎さんの歌を真似する時は
CDを何回も何回も聞いて
「ここではこういうテクニックを使っている」
というのをひとつひとつ確認しながら聞いています。
だから、真似をしても
どことなく不自然さが残ります。
限りなく近づける事は出来ても(それすら出来ませんが)
そのものにはなりえないのでしょう。
彼の魅力は
ただ、想う事を音楽によって
純粋に、自然に表現できるところにある気がします。
そして、そのために必要な技術を持ち合わせていたのです。
それを彼が長年の努力によって身につけたのか
それとも、神に授けられたのか
僕には分かりません。
恐らくその両方なのでしょう。
彼の歌は
聞けば聞くほどより吸い込まれてしまいます。
彼の真似をして
大勢に反発する歌を歌う人はたくさんいますけど
彼ほどの説得力や優しさを感じる歌には
まだ出会った事がありません。
僕が偏っているのかなあ???笑
声が綺麗な事?
音が正確な事?
高い声が出せる事?
どれも一部でしかない。
結論から言うと
自分の想いや作曲者の意図を伝えることが出来る人が
「上手い人」
という事になる
と僕は思う。
ところで、
尾崎豊さんは
伝えることにこだわり続けた「アーティスト」でした。
ミリオンヒットとかメジャーデビューとか
そういうものは二の次、三の次で
とにかく伝える事が彼の音楽の全てだったように感じます。
伝える事のみに執着し、努力を重ねたので
彼の音楽はとても純粋で
いつも強烈な説得力を持っていました。
じゃあ、その説得力の正体は何か?
伝わる音楽とは何か?
そこには
音楽を思うハートだけではなく
技術的な裏づけも必要だと思います。
具体的には
例えば日本語にはイントネーションが存在します。
誰かに語りかける時も
怒っているときや嬉しい時でも微妙にイントネーションや抑揚が変化します。
それを歌でも再現出来るかどうか
それが伝えるという事ではないか?
と思います。
歌は歌詞の一文字一文字に音がついています。
だから、その音を再現する事だけに執着してしまいがちです。
でも、その一文字一文字がただ羅列しているだけでは
それは本当に文字の羅列であり音の羅列になっているだけで
言葉でもなければ、音楽にもなりえません。
言葉の持つ、イントネーションや抑揚を細かく再現する事。
まるで語りかけるように・・・
それをする事こそが
歌詞に命を吹き込み
羅列ではなく生きた音楽にする事なのだと思う。
で、普通の人はそういう事をなかなか感じる事が出来ないし
フクザツな音形の中で表現する事は出来ません。
だから、いろんな音楽に触れて感覚を磨いて
何度も練習して技術を習得します。
訓練によって
感覚と技術の両方を身につけていきます。
尾崎豊さんの歌には
そう言った伝える為に必要な技術が
完全に再現されています。
しかも、物凄く自然に。
それはきっと、普通の人が何度も何度も訓練によって身につけるものが
彼はただ想いを込めるだけで
自然に、完璧に出来てしまうのではないかと思います。
(もちろん、ナミナミならぬ努力はされていたでしょうけど)
あそこの言葉は「こう歌おう」とか「もっとこの言葉を強調しよう」
とか具体的な事は考えず
ただ、伝えたいという想いが
そのまま完璧に歌に乗り移ってしまう
そういう才能をもっていたのではないか
と思います。
だからこそ、
純粋で、自然で、やさしい歌が歌えたのではないか
と僕は考えています。
僕はそういう才能はないので
尾崎さんの歌を真似する時は
CDを何回も何回も聞いて
「ここではこういうテクニックを使っている」
というのをひとつひとつ確認しながら聞いています。
だから、真似をしても
どことなく不自然さが残ります。
限りなく近づける事は出来ても(それすら出来ませんが)
そのものにはなりえないのでしょう。
彼の魅力は
ただ、想う事を音楽によって
純粋に、自然に表現できるところにある気がします。
そして、そのために必要な技術を持ち合わせていたのです。
それを彼が長年の努力によって身につけたのか
それとも、神に授けられたのか
僕には分かりません。
恐らくその両方なのでしょう。
彼の歌は
聞けば聞くほどより吸い込まれてしまいます。
彼の真似をして
大勢に反発する歌を歌う人はたくさんいますけど
彼ほどの説得力や優しさを感じる歌には
まだ出会った事がありません。
僕が偏っているのかなあ???笑
2006年
08月
04日
(金)
01:16 |
編集
神戸の夜景を見に行きました。
例えば横浜のランドマークターワーから見る夜景は
とても綺麗ですが
やっぱり夜景でしかないんですね。
でも、山の上から見る神戸の夜景は
もはや夜景ではなく宝石です。
ひとつひとつが輝き持った宝石に見えます。
僕の頭の中でふと
尾崎豊さんの歌の一節が浮かびました。
*************************
人生は五線紙さ
人生はキャンバスさ
人生はときを演じる舞台さ
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた
街の風景
*************************
街の風景という歌です。
夜景の放つひとつひとつの明かりが
ひとりひとりの個性であり、
ひとりひとりの人生の輝きを表している。
いろんな個性を
街というキャンバスに散りばめたものが
夜景なのかなあ
なんてしみじみ感じました・・・。
例えば横浜のランドマークターワーから見る夜景は
とても綺麗ですが
やっぱり夜景でしかないんですね。
でも、山の上から見る神戸の夜景は
もはや夜景ではなく宝石です。
ひとつひとつが輝き持った宝石に見えます。
僕の頭の中でふと
尾崎豊さんの歌の一節が浮かびました。
*************************
人生は五線紙さ
人生はキャンバスさ
人生はときを演じる舞台さ
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた
街の風景
*************************
街の風景という歌です。
夜景の放つひとつひとつの明かりが
ひとりひとりの個性であり、
ひとりひとりの人生の輝きを表している。
いろんな個性を
街というキャンバスに散りばめたものが
夜景なのかなあ
なんてしみじみ感じました・・・。
2006年
07月
01日
(土)
10:58 |
編集
今日で二十七歳になりました。
そういうわけで
尾崎豊さんの1stアルバムのタイトル
「十七歳の地図」
から、ちなんで
今日はこんなタイトルにしてみました。
尾崎さんは
世間に絶望して
立ち直りまた歩き出し
また立ち止まっては
また歩き出す
という人生を繰り返すわけですが
このアルバムには
なんていうか
そういう絶望に立ち向かっていこうとする
希望に溢れた印象を一番受けるアルバムです。
ありのままの尾崎さんの気持ちが詰まっています。
話が飛びますけど
宮崎アニメの「耳を澄ませば」の中で
宝石の話が出てきますよね?
あの時に僕は尾崎さんの「十七歳の地図」を思い浮かべました。
ダイヤの原石みたいな印象を受けるアルバムです。
尾崎さん自身が
後々に「あのアルバムを超えられない」
と言っていたようです。
自分のありのままの気持ちを一番むき出しで表現していたのかもしれません。
僕は二十七歳です。
十七歳の若者ではありません。
原石どころか、もう腹の底まで真っ黒けに汚れています。笑
でも、ちょっと原点に返って若い気持ちでガムシャラに頑張ってみようと思います。
ちなみに、二十七歳とは尾崎さんの亡くなった年です。
僕はまだ、尾崎さんに較べれば
社会に対して
何の貢献もしていなければ
存在価値も持っていません。
これからです。
頑張らねば・・・。
そういうわけで
尾崎豊さんの1stアルバムのタイトル
「十七歳の地図」
から、ちなんで
今日はこんなタイトルにしてみました。
尾崎さんは
世間に絶望して
立ち直りまた歩き出し
また立ち止まっては
また歩き出す
という人生を繰り返すわけですが
このアルバムには
なんていうか
そういう絶望に立ち向かっていこうとする
希望に溢れた印象を一番受けるアルバムです。
ありのままの尾崎さんの気持ちが詰まっています。
話が飛びますけど
宮崎アニメの「耳を澄ませば」の中で
宝石の話が出てきますよね?
あの時に僕は尾崎さんの「十七歳の地図」を思い浮かべました。
ダイヤの原石みたいな印象を受けるアルバムです。
尾崎さん自身が
後々に「あのアルバムを超えられない」
と言っていたようです。
自分のありのままの気持ちを一番むき出しで表現していたのかもしれません。
僕は二十七歳です。
十七歳の若者ではありません。
原石どころか、もう腹の底まで真っ黒けに汚れています。笑
でも、ちょっと原点に返って若い気持ちでガムシャラに頑張ってみようと思います。
ちなみに、二十七歳とは尾崎さんの亡くなった年です。
僕はまだ、尾崎さんに較べれば
社会に対して
何の貢献もしていなければ
存在価値も持っていません。
これからです。
頑張らねば・・・。
2006年
06月
30日
(金)
20:04 |
編集
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