実はタイトルはダジャレです!笑
コンコンコン誰か来たきつね?
蝉と平和記念式典
2008年 08月 14日 (木) 15:33 | 編集
最近は蝉の声を聞くと広島の平和記念式典を思い浮かべます。
かれこれもう十年くらい毎年参加しているんですが、
八月六日はいつもすごく良い天気で、蝉がやかましく鳴いています。

式典の厳かな雰囲気とは無関係に、無神経に、鳴く蝉の声が、
いかにも世間が平和である事を象徴しているように感じます。

同時に、広島以外の地域では、あまり関心が高くない事を皮肉っているようにも感じてしまいます。
読書
2008年 07月 06日 (日) 00:47 | 編集
登場人物は赤の他人のはずなのに
本を読み進んでいくに従って
どんどん感情移入してしまい、
まるで、自分にとってかけがえのない存在になっているかのように感じる。

歴史小説の場合、自害するシーンは
涙なしで読むのは難しい。

本を読み終わったとき、
大切な人と別れてしまったような寂しさを覚える。

これがある程度の演出が為されているとは言え、
史実であるという事を再認識すると
その人の生き方に改めて感銘を受ける。
思い出の曲?「ショパン ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2」
2008年 07月 01日 (火) 19:02 | 編集
ショパンのワルツの中では
子犬のワルツと並んで有名な曲です。
レ・シルフィードというバレエ作品として編曲されていたりします。
この曲には思い出がある。
大学二年生の時、大学合唱団の伴奏をしていた。
けれども、長年のブランクと、伴奏初体験という事で
全く上手くいかず、歌い手にずいぶんと迷惑をかけていた。
(もともとの素質も大した事ないんだろうけどね・・・笑)
ピアノをみるのが嫌になるくらい練習して嫌になっても練習していたのだけど、
なかなか求められるレベルにはなれなくてとても辛かった。
周りからは存在価値のない人間と思われているのではないか
と、必要以上にネガティブになっていた。

大学が新歓時期に入り、新入生がたくさん入ってきた。
その中のひとりがピアノが弾けるらしく、
練習が終わった後、多くの団員が見つめる中
ショパンのワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2を弾いた。
華やかなその曲はインパクトがすごくあって
多くの団員が「めっちゃすげえ!」と感心していた。
地味で平易な伴奏曲ですら弾きこなせない自分はとても惨めな気分になった。
(歌い手が歌いやすい伴奏をするのは、曲が地味でも意外に難しい)

その時、ひとつ学年が上の先輩が僕をみながらこう言った
「お前より上手いんじゃね?彼にピアニストやってもらったらいいな」
本人曰く、新入生に気分よく入団してもらうための「気遣い」であったらしいが
僕にはとても堪えた。
彼の得意そうな顔は今でも夢にみる。
(僕は別にその先輩が嫌いではありません。だからこそ、余計に辛いんですね。)

いろいろあったのだけど、周りの人の支援もあって
何とか一年間伴奏をこなす事が出来た。
一年間で弾いた曲はわずかだった。
惨めな思いもたくさんしたが一年続けた事で得たものもたくさんあった。
今は後悔していない。

その後、三年生になったら伴奏をやめたので
伴奏曲以外の自分の弾きたい曲を弾く時間的、精神的余裕が出てきた。
そこで、一年前から自分にとってトラウマになっていた(笑)
ショパン ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2
に挑戦した。
聞いた時のインパクトとは裏腹にすぐに弾けた。
内容はともかくそれっぽい形にする事は難しくはなかった。
「なんだ。すぐ弾けるじゃないか」
もし、一年前のあの時「これくらいなんてことないよ!」
と思える余裕が自分にあれば、必要以上に苦しむ事はなかったのかもしれない。

世の中にはいろんなタイプの人間がいるけど、
何か上手くいかないとき、人はものすごくネガティブになる。
他人と比べて自分のできてないところばかりを探して
自分という人間の価値を軽視してしまう。
自分に自信が持てない人、自分に不安を持ったまま一歩を踏み出した人に多い?。
過剰な自信や自己顕示は考えものだけど、
他人と自分を比較する必要はまったくない。隣の芝生は青いのだ。

実は伴奏をやった人の中で、僕が感じている事と全く同じ事を感じ、
同じ先輩に同じ言葉をかけられている人がいた。
その先輩はともかく、世の中には後ろ向きになってしまって苦しんでいる人はたくさんいる。

ある程度歳を重ねると価値観が多様化するし、妥協も覚える。
ひとつの事で苦しむ機会も減ってくる。
それでも、純粋なままひとつの事に心血を注ぐ人もいる。
そういう人の力になれたら、と思う。
自分の存在を認めてもらえるだけで、どれほど楽になるだろう。

人間万事塞翁が馬
後で、振り返ったら何でもない事だったりする。
明るく生きなきゃ損ですね。
アーセナル敗退
2008年 04月 09日 (水) 18:53 | 編集
アーセナルがチャンピオンズリーグ決勝トーナメント二回戦で敗退した。

一時期は、「世界最高のサッカー」という評価まで得ていたのに
今日の試合にはその美しさは見る影もありませんでした。
相次ぐ怪我人と疲労の影響があからさまに見てとれて
とても痛々しかった。

それにしても、
正直、この世には神も仏もいないんじゃないか
と思うくらい、辛い負け方だった。

ウォルコットの同点(厳密には勝ち越し)ゴールが決まった時は涙を流して喜んだのに
その涙が乾かぬうちに勝ち越しを許してしまった。

アーセナルのサッカーは最高だとは思うけど
いくら最大瞬間風速が凄くても
それを一年間維持できるだけの体力(選手層)がなければ
タイトルはとれないようだ・・・。

たくさんの若手を時間をかけて育て上げる、ベンゲルの今のやり方は否定しないけど
本気でヨーロッパのタイトルを狙うなら、即戦力の補強も視野に入れないといけないのかもしれない。
育成だけでは数が追いつかないよ・・・。

最高のサッカーをしていただけに、終盤の失速が本当に悔しいなあ。

タイトル云々よりもアーセナルらしいサッカーが見れる事が一番の望みだけど、
一年間通していつでも、アーセナルらしいサッカーを続けていけるような改善をお願いしたい。
2008年 04月 04日 (金) 09:40 | 編集
殺人犯がゲームやアニメを所持していたら
必ず槍玉に挙げられる。

そういう人には有害物質DHMOの存在を教えてあげるべきである。
有害物質DHMOとは
* 酸性雨の主成分である。
* 温室効果を引き起こす。
* 重篤なやけどの原因となりうる。
* 多くの材料の腐食を進行させ、さび付かせる。
* 過剰に摂取すると死に至る
* 殺人犯のほとんどの人が犯行24時間以内にDHMOを摂取している
* すべての凶悪殺人犯の体内から、DHMOが検出されている。

どうですか?とっても有害な物質ですね。
にも関わらず、この物質を規制している国は世界中でどこにもありません。
これは大問題だ!?


********************************************************
DHMO:Dihydrogen Monoxide
読み:ジヒドロモノオキサイド
化学式:H2O
和名:水
ネット社会の集団心理
2008年 02月 20日 (水) 21:08 | 編集
インターネット文化が恐いなあ、とつくづく思う。

個人的に気に食わない事であっても
ネット上で多くの人の支持を得たら
それが個人の主観ではなく客観的な正義に化けてしまう気がする。

子供の世界によくある。
ちょっと性根の悪いガキ大将にクーデターを起こしてみんなで制裁を加えるというパターン。
制裁を加える側の人間はいじめられている人間の救済という大義名分があるので
まったく罪悪感を感じないわけだけど、、それは一歩間違えるとイジメに発展し兼ねない。

日頃のストレスや不快感をここぞとばかりに発散させる。
自分は正しい事を言っていると思っているから罪悪感はまるでない。


本当に恐ろしいのは
その事を知りつつわざと煽る人間と
その事に気づかず正義感で動く人間がいる事。

多くの純粋な(単純な)人間が簡単に情報操作され得るって事だと思う。


最近は本当に世論の傾き方が尋常じゃない。
ネット社会がもたらす集団心理だと思う。
恐い。
KY分類学
2008年 02月 16日 (土) 15:03 | 編集
1-1,空気を知らない・・・・・集団での生活経験が乏しい。自覚あり。改善の兆しあり
                ○世間知らずタイプ、若気の至りタイプ
1-2,空気読めない・・・・・・集団での生活経験が乏しい。マイペース。自覚なし。
                悪気なし。改善の兆しなし。
                ○おぼっちゃんタイプ
2-1,空気が薄い・・・・・・・おおらか。例:自分にも他人にも腹が立たないタイプ
                ○鈍感タイプ
2-2,空気読まない・・・・・・無神経。自己中心的。自分の行動基準が優先される。
                ○自己中タイプ
2-3,空気読んでるつもり・・・線引きが間違ってる。最も痛いタイプ。
                例:あいつは文句言ってないから大丈夫  
                ○知ったか(ぶり)タイプ
3-1,空気読む気がない・・・・作為的、意図的 最もタチが悪いがKYには含めない?
ようこそ先輩〜為末理論に感動〜
2008年 02月 10日 (日) 00:37 | 編集
NHKの課外授業〜ようこそ先輩〜という番組で陸上競技の為末選手が出ていた。
為末選手が自分の母校に行って小学生に授業をするという番組。
科目はもちろん体育。
印象的な事がいくつかあった。
自分の心に留めて置きたいので記しておく。

1、日本人にあった「走法」について
欧米人は骨盤が地面に対して垂直なのに対して
日本人は猫背の人が多く骨盤が後ろに傾いているらしい。
なので、ももを高く上げるとバランスを崩して速く走れない。
そこで、日本人にはすり足に近い忍者走法が向いているのだそうだ。
日本では陸上競技に限らずあらゆることが「西洋化=発展」のようになってしまっている。
けれど、どんな事にも日本人の体に適した方法論があり、
日本の伝統文化にこそ、その真髄があるのだろう。
(剣道や相撲はすり足だよね?)
国家の品格にもあったけど、
「日本の伝統文化が何故その形になったのか」
を我々日本人がもう一度よく理解する事が重要なのかもしれない。


2、変化を恐れない
自分の走法の問題を解決させる為の訓練を施すと一時的に記録が落ちるらしい。
でも、それを恐れている限り今より高い所にはいけない。
これは合唱にも通じることだなあ。
発声を変えようとするとその部分にばかり意識がいって
他がおろそかになって全体のバランスが崩れてしまう。
何より歌ってて楽しくない。
けれど、その面倒くさい過程をクリアしないといつまでたっても
同じ場所をグルグル回ることになる。進歩しない。
声ってひとりひとり違ってて癖がある。
いくら練習しても癖が治らない事はよくくあることだが
一時的に落ちてしまう事が恐くて治せないのかもしれない。


3、緊張+興奮=高記録
これは、今読んでいる本にも同じことが書いてあった。
大勢の人の前で走る時、緊張する。でも、それは決して悪いことではない。
むしろ、緊張をとき解そうとする方が却ってよくない。
緊張とは勝負する状態に体を作っている状態なので、それを利用する。
緊張した時は自分の体を叩いたり、大声を出したりして
自分を奮い立たせる事が肝要であるらしい。
緊張+興奮が高記録への道だとか。
日本人がプレッシャーに弱いと言われるのは
プレッシャーを解くことにエネルギーを使ってしまうから。
プレッシャーを解いてリラックスした状態では
体は思うように動いてくれないのだそうだ。


4、自分は自分
この授業は為末選手から指導してもらった走法を基に
小学生各人が練習を積んで、自分の100mの記録を1秒縮める事を目標としていた。
目標を「自分のタイムを縮める事」としてあるところに意味がある。
僕等が陸上競技を見るときは、たいてい数人の人が競争していている状態である事が多い。
けれども、彼等にとって最も重要な事は自分の記録を伸ばすことにあるはずだ。
他人との競争はあくまで競技場内での話であって、普段の練習でやるべき事は自分との戦い。
他人は関係ない。
「メダルを逃したけど、悔いは無い」と語る選手をしばしば目にするけど、
メダルの色ばかり気にする昨今の価値観ではなかなか分かりえない事かもしれないね。
人生は他人と比較するものではない。
何の為に生きるのか?
人によっていろんな答えがあっていいと思うけど
それは決して他人を打ち負かす事ではないと思う。
勝ち組、負け組という表現は陳腐で悲しい。
幸い僕は仕事上、他人との競争をそこまで実感せずにいられる。
あくまで自分と戦う事に目を向けていられる。
孤独ではあるけれど、それはそれで有り難い話だと思う。

5、走り続ける事
ほとんどの生徒が記録を向上させていたけど、
1秒という目標を達成出来た生徒は半分以下だった。
1秒という数字そのもにには意味はないだろうけど、
もしかしたら為末さんはわざとみんなが達成出来ない数字を掲げたのかもしれない。
最後にこう語っていた。
「一生懸命やっても結果が出ない事があるかもしれないけど、そこで努力をやめてはいけない。
 結果が出なくても頑張る。それが大事。」

もう、小学校の頃から何十回、何百回といろんな人に言われつくしてきた言葉だけど、
為末選手の言葉はとてもリアルで、重く感じられた。

努力しても結果が出る保証はないけれど、
一歩でも前に踏み出せば少しだけでも確実に前進はする。
踏み出さなければ永遠に前進しない。



たまたま、チャンネルを合わせただけだったけど、ついつい見入ってしまった。
為末選手の言葉はとても重くて優しかった。
いろいろ試行錯誤を重ねながら自分でトレーニングメニュー等を考えてきたそうだ。
自分でいろいろ考える人の言葉って
独特の響きを持ってて、ちょっと惹きつけられます。

北京ではちょっと注目してみよう思う。
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